高校終わったらバイト先へ直行する日々、貧しい中でも教習所に申し込んだ

「教官にとっても忘れられない生徒だと思う」・「お礼の気持ちを伝えたいよね」

高校終わったらバイト先へ直行する日々、貧しい中でも教習所に申し込んだ。

高校生のあなた、ほんとよく頑張ったね

ふっと思い出した。

今から20年以上前、当時高3の私は見た目かなりのギャルだった。

大の安室ファンだったので、細眉にルーズソックス、ミニスカート。

でも高校終わったら遊び歩くわけでもなく、バイト先へ直行する日々だった。

母1人子1人で貧しかったし、バイト終わったら夜中まで勉強して

いつか成功しようと思ってた。

18になったら運転免許取るためにバイト代貯めて、教習所の入学申し込みしたんだけど

入学申し込みした日に、母親が入院したと連絡があった。

その日から数ヶ月、寝る間も無い生活が続いた。

朝から学校→教習所→病院→バイト→勉強の日々、

母親の看病や家事もあるためヘトヘトに疲れて勉強したまま眠ってしまう日もしばしば。

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ある日、教習所の送迎バスに乗ったら私1人だった。

教習所のバスは教官が運転してる。

疲れてバスの中で眠ってしまった私に

「昨日も夜遊びしてたのか?」と嫌味を言う50歳くらいの教官。

嫌味なオッサンだと思ってたら、その日の教習はその教官が担当になった。

教習中も「高校生か?眠そうにして。夜遊びもほどほどにしないとな」って言われたので

カチンときて、夜遊びではない毎日大変なんだと話してしまった。

教習が終わった後

「こっちに来なさい」と関係者しか入れない社員食堂へ連れて行かれた。

「その様子じゃ食事すらしてないんだろ」と天ぷら定食をご馳走してくれた。

社員食堂の定食だから味なんて大したことないはずなのに、今でも忘れられないくらいに美味しかった。

それから指名したわけでもないのに毎回教習はその教官にあたった。

教習が終わったら食堂、食堂が休みの日には、教官の奥さんが作ってくれたおかずを渡してくれた。

いつも「うちにも高3の息子おるけど、こんな茶髪を連れてきたら追い出すわー」って笑ってた。

教習所卒業の日に「ありがとう」ってお礼言って、そこから会ってない。

引っ越しもしたし、当たり前だけど。

この前、20数年ぶりに教習所の近くを通ったら随分と変わってて

「あの教官も70歳くらいかな?元気でお孫さんたちに囲まれて幸せだったらいいな」って

思った。

あれだけ世話になったのに何もお返ししてなかったな。

せめて連絡先聞けばよかった。

頭悪そうなギャルが頑張って「お前には無理だ」って言われてた国家資格取ったこと、

母親は今も元気なこと、あの日の天ぷら定食が忘れられないくらいに美味しかったことを

お礼と一緒に伝えたい。

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