「ゆっくり楽しんで」・「第二の人生、お過ごし下さいませー」
定年後の、老後の夢。
突然の書き込み失礼致します。
誰かに自分の話を聞いてもらいたい、誰かに何かを話したいと娘に言ってみたところ、この掲示板を教えてもらいました。
若い人たちばかりでしたら、お邪魔して大変申し訳ないです。
私は還暦を過ぎた年寄で、身近な友人は病でなくなったり、皆孫の世話やら親の介護やら身の回りのことで忙しく、
なかなか会って話をする機会がないために、誰かに聞いて頂きたいのです。
この度、私は1月末をもって長年勤め上げた会社を定年退職するのですが、
定年後の夢として、キャンピングカーで自由気ままに全国津々浦々を旅していたいと思っていました。
兼業農家でもある私は、今までの人生働き詰めでした。
子供を産んだからには、と二人の娘は借金なしに大学まで上げましたし、二人ともなかなか良い企業に入社してくれ、
去年でついに二人とも私のもとを離れました。
一人は婿をとってくれ、孫にも囲まれ楽しく過ごしています。
つらく大変なことが多い人生でしたが、今はこれで良かったと心底思える生活を送っています。
山奥の農家の長男で、男一人。口下手な性格や決して二枚目ではないことも災いして嫁に来てくれる人はおらず、
仕事から帰れば親に泣かれて責められる日々を随分と過ごしました。
周りの友人は皆結婚をし、子供が産まれるなかで卑屈に30歳半ばまで過ごしましたが、なんとか縁あって結婚し、今に至ります。
友人連中が「どうだ羨ましいだろう」と飲み屋に子供を連れてくる姿を見て、笑いながら腹の底では悔しくて仕方なかったのは今でもはっきり覚えています。
そんな私でしたが、正月に末の娘が連絡も無しに実家に帰ってきました。
ハイエースに乗ってきた娘に驚いて、前の軽はどうしたのか、ぶつけたのかと聞くと、
「これは父さんのだよ。今まで仕事ご苦労様でした」と言って、後ろの座席を開けてくれました。
そこにはベッドと台所が備え付けられていて、居住するには十分でした。
話を聞くと、二人の娘夫婦で金を出し合い中古のハイエースを購入し、最近流行りの工作が得意な末の娘と車の整備士である娘の夫が
キャンピングカー風に改造してくれたというのです。
自分の老後の夢を覚えていてくれたという驚きと、あまりの感動にうまい言葉が出ず、
いやあ、いいなこれ。ありがとう。と言うのが精一杯でした。
夜、皆が眠った後に妻と晩酌をしみっともなく泣きました。
妻は始終そんな私を見て、腹を抱えて大笑いをし、危うく子供らに泣いてる姿を見られるところでした。
昨今、私なぞは高齢ドライバーと呼ばれる年齢になりますが、早くこのハイエースに乗って旅に出たいと気持ちが逸るばかりです。
子供が上京したまま帰ってこない、子供が結婚しないので孫の顔が見れないと嘆く、
かつて私に子供を自慢した友人たちには到底言えませんが、本当に自分は今が幸せだと心から叫びたい。