思うものがありました。お姉さんと共有したたくさんの美しいものきらきらしたもの。
いつごろからかすぐへばるようになって。姉は好奇心が旺盛過ぎる人だった。
姉は好奇心が旺盛過ぎる人だった。
そして親は姉の好奇心を片っ端から認める、というか放置してた。
姉が勢いのあるミサイルみたいな人だったので俺は常に姉に振り回されて結果正反対の人間になったが、姉とは仲がいい。
姉の好奇心の例をあげると、ドジョウを見てみたいからと釣りにでかけて50センチくらいある巨大ドジョウを釣り上げたり(恐ろしくヌルヌルだった。針外すの大変だった)、
羊のモコモコが触りたいからと牧場に行って世話手伝う代わりに触りまくったり(羊は全然モコモコしてなかった。ゴワゴワで硬かったし臭かった)、
ダチョウに乗りたいからとダチョウ飼ってる人のところに行ってみたり(ダチョウは乗れるようなシロモノじゃなかった。めっちゃ突かれた。姉は雑草あげてた)
天の川見たいと新月の森の中を懐中電灯一本でひたすら歩かされたり(キレイだった)、ホタル見たいからと黄昏時に水辺まで歩かされたり(虫ヤバい)
俺のかばんには姉が裁縫でつくったぬいぐるみとか、オーブン粘土で作ったフィギュアとかもついてた。料理も一通り独学で覚えて食べさせられた。
とにかくパワフルな人だった。
俺は姉ほどのエネルギーがないので、色んなことを次々与えられていっぱいいっぱいだった。
そんなパワフルな姉がいつごろからか俺より体力がなくなり、すぐへばるようになった。
毎週末でかけていたのが嘘のように土日によく寝るようになった。
俺が高校生の頃、姉が意識不明で救急車で運ばれたと連絡が来て血の気が引いた。
学校からすぐ家に帰ると俺は気が動転してて、病院にかけつける際にいつの間にか姉がつくって俺にくれた不格好なインコのぬいぐるみを握りしめていた。
今でもなぜぬいぐるみを握りしめてたのかわからない。
姉はその後検査入院して二度と治らない難病だと判明した。
それは同時に今後薬を飲み続けて普通の生活ができないことと、子供を望むことが難しいことを意味していた。
家族みんなどん底の気分だったけど肝心の姉が一番あっけらかんとしていた。
それから色々あって、姉は今貧乏ながら自立して働いてる。
色々お裾分けしたりされたりするので月2回くらい会うんだけど、姉は昔とかわらず楽しそうにしている。
この前も姉が家に来たので談笑していると、外がきれいな夕焼け色になった。
姉はテンション爆あがりで、そこから一時間以上散歩して空を堪能してた。帰りは体力なくなったからタクシー呼んで帰った。
姉は周りからよく頭の中お花畑と言われていた。悪口とかではなく親愛を込めて。俺もそう思う。でも多分冬虫夏草とかウツボカズラとかラフレシアがメインで咲いてそう。
姉に「幸せってなんだろね」と問いかけたら、「感情が動くことじゃないの?」と言われた。
姉と同じ病気の人も知ってるけど、その人は姉よりお金持ちで生活の苦労もないけど、不幸のどん底にいるような暗くてネガティブな人だった。
姉が入院中、入院患者のおばあちゃんから貰ったという千代紙に感動してネットで調べてせっせと折り紙してたのに対して、
同じ病気の人は「折り紙なんて子供みたい」と姉を皮肉るだけだった。
談話室みたいなところで姉が子供の入院患者から手袋やハンカチで人形や猫耳作る遊びを教えてもらってた。
「めっちゃなつい!私らも子供のときやってたよね?いつからやらなくなったんだろ。やり方も忘れてたよ!」と病室でもせっせと人形作って洗濯物にそれが紛れてた。
姉は子供っぽいし幼稚だけど、幸せなんだろうな。
前にチコちゃんに叱られたいで、子供は一日に起きたことをよく記憶して喋ることができるけど、大人はそれができなくて日々にときめきを感じないと言っていた。
姉に同じように「昨日何があった?」と聞くと、無限に話し続ける。子供の頃と変わらぬ好奇心で周りを見ている。
姉といると疲れるけど、姉を見てると幸せになることってハードル低いんだなと、お金がなくても誰からも好かれなくても人生うまく行かなくても幸せになれるんだなと思える。