―どんなことを思いながら手紙を書いていましたか?
一番は自分の現役時代を思い返しながら書いていましたね。自分が野球をやった時ってどういう気持ちでやっていたかなとか。今の学生ってどういう気持ちで大会に挑んでいるんだろうとか。そんなことを考えていました。
―書いていて一番伝えたかったパートはどこですか?
最初から最後まで本当に気持ちを込めて書ききったので全部伝えたいんですけれど、その中で強いて挙げるとするならば、やっぱりこの先、色々な事が待ち受けているけれど、でもそれはどうにでもなるよということですかね。自分が最後まで戦い抜いた過去と、過去の記憶は、きっと自分が生きるこれからの糧になるから、そこを一番伝えたいですかね。
―記憶という言葉がキーワードになっていると思うんですが、どういう思いがこもっていますか?
もちろん優勝という良い記憶もあれば、その後なかなか活躍できなかったり怪我をしたりという記憶もありますが、でもその記憶って全部僕自身の大事な記憶なので、それがあったからこそ今何とか前を向けて頑張っていけているという事をすごく感じています。だから良い記憶も嫌な記憶も全部自分の糧になっているなっていう感覚ですね。
―やっぱりここぞ、という時には、その球は違ったものになるんですか?
ボールを数値で計れば変わらないかもしれないですけど、やっぱりバッターに対して見えない力は絶対に働いていると思いますし、その気迫というか、自分から発するエネルギーみたいなものはボールに乗っているかもしれないなと思って、僕は投げていました。
―野球の面白さって、なんでしょう?
僕もそれは本当にずっと考えていて、やっている選手は勝ち負けの勝負っていうのがすごく楽しい瞬間ではあるんですけど、でも今野球選手を引退して感じることは、野球で繋がったご縁ってたくさんあったなと思って。野球が繋いでくれたご縁によって僕は今色々な方に支えてもらって生きているので、その面も含めて、だからこそ野球ってすごくいいなって思っています。
―悔しい思いもいっぱいしましたね。
悔しい思いもたくさんしました。けどでもその分だけ得られたことも大きかったかなと思いますね。
―怪我をした時に心ないことを言われて、どんなお気持ちでしたか?
最初はすごく嫌でしたね。ただ、自分が向き合うべき人達って身近にいる人だったりチームメイトだったり、やっぱり近くにいる人たちを大事にしたいと思っていたので。そうすると周りの、外野の声っていうんですかね。そういうものは聞こえなくなっていきました。自然と。
―また現役時代に戻りたいと思うことはありますか?
今は思わないですね。やっぱりいいことも経験できたし、嫌なことももちろんあったし。でもその中で野球をプレーするっていうことに対してはやりきったと思っているので、それだけ野球と向き合っていたと自分では思っているので、だからこそ今はまだそんなふうには思わないですかね。
―学生時代に優勝した時と、怪我をしてどん底で苦しかった時、どちらが自分にとって大事な経験だと思いますか?
優勝した記憶も、怪我で投げられなくて結果が出なかった記憶も、セットだと思っています。このセットがあるからこそ、今の僕っていろんなことを感じられて、吸収できて、勉強できているっていうのをすごく感じるので、どっちという優劣をつけることがすごく難しいですね。この2つがセットで斎藤佑樹だって思っています。
―誰かに言われて今でも大事にしている言葉ってありますか?
栗山監督にずっと言われ続けてきたことで、がむしゃらに泥だらけになってやりなさいと。そのことは引退した今でも、それを胸に思ってやっていますね。
―手紙とメールの違いって、どこにあると思いますか?
やっぱり字ってクセが出るじゃないですか、人の。それがすごくいいなーっていつも思っていて。癖って投げる時も出るんですよね、当然ですけど。人によってフォームって違うじゃないですか。だからこそその人の魅力だったり、ちょっと変だったりするところも人となりを伝えられると言うか。だから書く字も、あ、この人ってこういう字書くんだ、となんとなく伝えられる気がして。だからこそ僕は書くことにすごくこだわってきたのは、斎藤佑樹っていう人間を相手に伝えるために書いてきましたね。
―なんだか投げる球と近いですね、数値で測れないというか。
まさにそうですね。なんとなくこの人って丁寧な人なんだなとか、まろやかな人なんだなとか。文字って感じたりするじゃないですか。僕も全部さらけ出すじゃないですけど、今回もそういう気持ちで手紙を書いてました。