新入社員の教育係を担当していた三十代の頃、夕食や酒をおごる日々が続き小料理屋に連れて行った

「良い話だった」・「人との縁や繋がりって本当に不思議だよね」

和食のように柔らかい文体。

忘れもしません
出典 / open2ch.net

ジジイの思い出話をさせて下さい。

おーぷんは趣味の板などを一年ほど読んでおりますが、不手際がありましたらお詫びします。

私がまだ三十代の頃、新入社員を二名、教育係として担当しました。

簡単にAとBとします。

どちらも調子のいい男で、給料日の後には揃って「先輩なんかおごって下さいよ!」

などと言ってきて夕飯を付き合わされましたが、私も初めて後輩を直接に指導したので

可愛くて仕方なく、月に二度ほど夕食や酒をおごる日々が続きました。

翌年、忘れもしません五月の末の、よく晴れた日のことです。

その年には私の部署に新しい社員の補充がなかったため、月に一度くらいの頻度ですが

まだ先輩のおごり夕食は続いておりました。

ところが私が朝から腹の具合が悪く、若者たちの喜ぶようなガッツリとした食事は

避けたい気持ちだったため、おごり要求が来たものの別の日に、と断ろうとしました。

するとAが、先輩に合わせますよ、と言います。

Bも、たまには先輩の行きたいとこ行きましょうよ、などと調子を合わせます。

ひょっとすると、後日となったら来月あたりまでおごりを飛ばされると思ったのかも知れません。

本当に調子のいいヤツらなんです。

そこで私は、少し値は張りますが、とても優しい味の和食を出す小料理屋に連れて行きました。

その店は私も先輩から教えていただき、たまのご褒美に焼き魚や煮物をアテに酒を愉しむ

小さいけれど居心地のいい店です。

ご夫婦で営まれており、その頃、すでに五十代後半の旦那様がお料理を、奥様が接客を

されていました。

私はまだ腹の具合が落ち着かなかったので、焼き魚定食のご飯小盛りを。

Bは刺身だったかな? Aは鯖の味噌煮定食を頼みました。

そこの定食は、メインのおかず以外にも煮物や小鉢が豊富で、どれも出汁のきいた薄味です。

若者の口に合うかな、と不安でしたが、二人ともご飯をおかわりする勢いで食べてくれました。

それからまたしばらく経ったある日のこと、私が一人で当の小料理屋へ行くと

Aがカウンターに座っておりました。

聞けば、あの後、一人で何度も通っているとのこと。

私と一緒に行った日に食べた鯖の味噌煮が、Aの亡くなった祖母の味とそっくりだったため

懐かしくなり、酒は頼まず定食だけを食べに来ていたのだそうです。

店のご夫婦ともすっかり仲良くなったようで、それからも度々、彼を店で見かけました。

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二年後、Aは会社を退職し、その小料理屋で働き始めました。

やがて調理師の資格をとるために学校へも通い、私とBが店に行くと、定食に小鉢を

おまけしてくれたりするようになりました。

Aはそれまで料理などほとんどしたことがなかったはずです。けれどもその頃には

店のご主人が太鼓判を押すほど腕を上げておりました。

過日、その店のご主人が体調を崩され、Aに店を譲って隠居する運びとなりました。

店はしばらく休んでいたのですが、今夜、私とB、ほかに常連さんや店のご夫婦の

お知り合いなどを呼んで、ちょっとした引き継ぎ式のような席を設けます。

週末には、Aが初めて主人として、引き継いだ小料理屋の厨房に立ちます。

十年ほど前に結婚したAの奥様が、まだお元気な先代の奥様に手伝っていただきながら

接客をされるそうです。

Aの言った「あの日、先輩が腹を壊していてくれて良かったです」という、冗談なのか

よくわからない言葉が思い出されます。調子のいい、口のよく回るところは

ジジイに片足を突っ込んだ今も変わっておりません。

きっと、良い店主になるでしょう。

本当に、人の縁、人生の転機というものは予想が付かないものだと考えさせられます。

今夜は鯖の味噌煮を出してくれるとのこと。楽しんで来たいと思います。

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